2007年02月05日
立春の宮古島
なんて気持ちのいい空!
デイゴの古木も、開花したくてうずうずしているように見えます。
日曜日、歴史ガイドの講座に参加させてもらい、
宮古島の史跡を巡ってきました。
日なたに立っていると汗ばむほどの日差し、
自然の色濃い史跡や御嶽(ウタキ)を散策するには絶好の陽気です。
畑で春を謳歌するアブラ菜を愛でつつ池間の集落を散策すると、
一番奥まったところにあるのが「大主(オハルズ)御嶽」。
宮古島に数千あるといわれるウタキの最頂点に立ち、
宮古島のすべての生命をつかさどる神様。
知ってはいたけれど、訪れるのはもちろん初めて。
地元池間集落でも、ユークイ(世乞=豊穣祈願祭)のときに神女(ツカサンマ)たちが夜籠もりをしてニガイ(願い)をするほかは、
ミャークヅツ(宮古節=豊年祭)の三日間しか参拝できないという、神聖な場所だからです。
うっそうと茂るアダンの参道、
つきあたりの茂みに囲まれたスペース、装飾物は何もない聖域、
人々の想念と祭祀によって脈々と受け継がれてきた、まさに「無形」文化財を
清浄で濃厚な空気の中に感じました。
池間島から大橋を渡って戻ってくると最初の集落が、「狩俣(かりまた)」。
海洋民族のルーツをもつ池間とは打って変わって、
平家の落人が村立ての起源とされています。
かつては村にめぐらされていたという石垣の
東門を出たところに、
素敵な古井戸を発見。
井戸の中から萌えいずるガジュマル、
手前に生い茂る苧麻(ちょま=宮古上布の糸になる植物)の原種。
神様があしらった生け花作品、とでもいうような。
それにしても、きょうは空がきれい。
フクギの濃い緑から
命のエネルギーが放たれるのが見えるよう。
現れた船が大神島の北側をまわってきたら、
年貢を積んで首里に向かい、物資を積んで帰ってくる自分たちの船だ。
昔の人たちが船を待つ気持ちを想いながら、
遠見台から西の海を眺めてみました。
宮古島には、沖縄(首里王朝)のような立派な歴史建造物はほとんどありません。
青い海と広い空・・・といった
自然がつくる飛び切りの景色は別として、
モノとして見ることができるのは、
コンクリで固められたウタキの拝所とか、
放置された古井戸とか、
植物に乗っ取られた墓石など。
何かを「見よう」とする観光が目的なら、
池間も狩俣も、「何もない」場所です。
(実際、ガイドブックには食堂と民宿くらいしかプロットされていません)
が、人々の暮らしの中に深く生き続けているカタチのない文化こそ
宮古島の真骨頂。
生まれ育った人間ではないけれど、
この島のことが好きだから、もっと知りたい、
そんな単純な思いからだけですが、
少しずつでも勉強し続けたいと思います。
それにしても大人になってからの勉強って、実に楽しいですよね。