2012年04月23日
ネピュレ(R)×宮古島
野菜やくだものは“生”が一番。
でも、もし
色がそのまま鮮やかで
香りや旨みもそのままで
しかも、栄養成分が失われない
としたら、生にこだわって急いで出荷する必要はなくなりますよね。
生産地・生産者にとって、そんな夢のような加工技術が
実は日本にあるのです。生まれたのです。
野菜や果物を過熱蒸気と(刃物を使わない)遠心力分離技術という
全く新しい技術を用いて加工した“次世代型(Next)ピュレ”、その名も
『ネピュレ』。
そのプレス発表会にお招きいただきました。
会場には、ホテルオークラのシェフたちが腕をふるった
いろいろな素材の“ネピュレ”を使ったお料理とスイーツがずらり。
鴨のロースト オレンジネピュレのソース、
ほうれんそうのネピュレのムースを詰めたスズキのパイ包み焼き、
玉ねぎネピュレを使ったオークラ特製野菜カレー
といった趣向を凝らしたお料理の数々に加え
あまおう苺(九州)ネピュレのロールケーキ、
大町レモン(広島)ネピュレのマドレーヌ、
黒千石大豆(北海道)ネピュレのシフォンケーキ、など
スイーツだけでも8種もあって
全メニュー制覇は絶望的な豪華饗宴。
一方、フロアーを埋める300人を超すゲストの方々もまた
日本の食品業界をリードする豪華な顔ぶれ。
ネピュレの技術開発を永年支えてきた企業や、
すでに商品化に取り組む企業のトップが集いました。
そんな晴れの場に、なぜわたしが?
実はこのたびひょんなことからご縁が実り、宮古島が
北は北海道から南は“宮古島”まで全国に広がる
ネピュレ社の産地拠点の一員に加わることとなったのです。
その主役となるのが“宮古島マンゴー”。
試作を経て完成した宮古島マンゴーのネピュレの美味しさに
早速、榮太樓總本鋪があめを発売したいといってくださっています。
さらに今後さまざまな食品メーカーにも、この宮古島マンゴーネピュレで
パンを、アイスを、ケーキを作ってもらえるように・・・
そんな願いと決意を込めて、
宮古島市の下地敏彦市長(右)とマンゴー農家を代表して嵩原弘さん(左)が
ネピュレ社の加納勉社長と固い握手を交わしました。
地元農産品をPR/下地市長(2012年4月25日付宮古毎日新聞)
振り返れば、昨年夏に日本橋三越の沖縄展に出展した帰り道
地下食品街の『あめやえいたろう』ショップでの衝撃的な出会いが
ネピュレとのご縁の始まりでした。
むかーし東京の祖母の家に遊びに行くと、いつも茶箪笥には
赤、黄、緑など伝統色の缶に入った『榮太樓飴』がありました。
それが、びっくりするほどお洒落に、女子のハートを鷲掴み、という感じの
フルーツ飴シリーズに変わっていて、もちろん即買い。
宮古にお土産に持ち帰り、苺の板飴を口に入れた瞬間のおどろき。
これは、なんだ!?
まちがいなくフレーバー(添加物)ではない、フルーツの美味しさ。
リーフレットに紹介されていた『ネピュレ』の技術を知ったのでした。
生産者もふえ、産地としての生産量が右肩上がりの宮古島マンゴー。
しかし、その1-2割はどうしても規格外品となってしまい、
島内では皮むき、冷凍など加工できる量も買取手も限られている。
冷凍加工して原料マンゴーとして製品化するにも
離島ゆえの輸送コストのハンデをカバーできるだけの付加価値が必要・・・
そんな課題を一気に解決するのが、
ネピュレの技術であり商品(マンゴーネピュレ)だ!
久しぶりに燃えました(笑)
いま、こうして食品の新しい時代の幕開けに
宮古島が加われたことが何より嬉しく、励みになります。
あいにく今年の宮古島マンゴーは“30年に一度の”大不作。
最悪、加工用マンゴーはまったく流通しないかもしれない。
でも、めげませんよ。
来年は間違いなく大豊作ですから。今年はそのための準備期間。
宮古島マンゴーネピュレプロジェクト、
大切に、慎重に、夢を抱いて、みんなで育てていきたいと思います。
でも、もし
色がそのまま鮮やかで
香りや旨みもそのままで
しかも、栄養成分が失われない
としたら、生にこだわって急いで出荷する必要はなくなりますよね。
生産地・生産者にとって、そんな夢のような加工技術が
実は日本にあるのです。生まれたのです。
野菜や果物を過熱蒸気と(刃物を使わない)遠心力分離技術という
全く新しい技術を用いて加工した“次世代型(Next)ピュレ”、その名も
『ネピュレ』。
そのプレス発表会にお招きいただきました。
会場には、ホテルオークラのシェフたちが腕をふるった
いろいろな素材の“ネピュレ”を使ったお料理とスイーツがずらり。
鴨のロースト オレンジネピュレのソース、
ほうれんそうのネピュレのムースを詰めたスズキのパイ包み焼き、
玉ねぎネピュレを使ったオークラ特製野菜カレー
といった趣向を凝らしたお料理の数々に加え
あまおう苺(九州)ネピュレのロールケーキ、
大町レモン(広島)ネピュレのマドレーヌ、
黒千石大豆(北海道)ネピュレのシフォンケーキ、など
スイーツだけでも8種もあって
全メニュー制覇は絶望的な豪華饗宴。
一方、フロアーを埋める300人を超すゲストの方々もまた
日本の食品業界をリードする豪華な顔ぶれ。
ネピュレの技術開発を永年支えてきた企業や、
すでに商品化に取り組む企業のトップが集いました。
そんな晴れの場に、なぜわたしが?
実はこのたびひょんなことからご縁が実り、宮古島が
北は北海道から南は“宮古島”まで全国に広がる
ネピュレ社の産地拠点の一員に加わることとなったのです。
その主役となるのが“宮古島マンゴー”。
試作を経て完成した宮古島マンゴーのネピュレの美味しさに
早速、榮太樓總本鋪があめを発売したいといってくださっています。
さらに今後さまざまな食品メーカーにも、この宮古島マンゴーネピュレで
パンを、アイスを、ケーキを作ってもらえるように・・・
そんな願いと決意を込めて、
宮古島市の下地敏彦市長(右)とマンゴー農家を代表して嵩原弘さん(左)が
ネピュレ社の加納勉社長と固い握手を交わしました。
地元農産品をPR/下地市長(2012年4月25日付宮古毎日新聞)
振り返れば、昨年夏に日本橋三越の沖縄展に出展した帰り道
地下食品街の『あめやえいたろう』ショップでの衝撃的な出会いが
ネピュレとのご縁の始まりでした。
むかーし東京の祖母の家に遊びに行くと、いつも茶箪笥には
赤、黄、緑など伝統色の缶に入った『榮太樓飴』がありました。
それが、びっくりするほどお洒落に、女子のハートを鷲掴み、という感じの
フルーツ飴シリーズに変わっていて、もちろん即買い。
宮古にお土産に持ち帰り、苺の板飴を口に入れた瞬間のおどろき。
これは、なんだ!?
まちがいなくフレーバー(添加物)ではない、フルーツの美味しさ。
リーフレットに紹介されていた『ネピュレ』の技術を知ったのでした。
生産者もふえ、産地としての生産量が右肩上がりの宮古島マンゴー。
しかし、その1-2割はどうしても規格外品となってしまい、
島内では皮むき、冷凍など加工できる量も買取手も限られている。
冷凍加工して原料マンゴーとして製品化するにも
離島ゆえの輸送コストのハンデをカバーできるだけの付加価値が必要・・・
そんな課題を一気に解決するのが、
ネピュレの技術であり商品(マンゴーネピュレ)だ!
久しぶりに燃えました(笑)
いま、こうして食品の新しい時代の幕開けに
宮古島が加われたことが何より嬉しく、励みになります。
あいにく今年の宮古島マンゴーは“30年に一度の”大不作。
最悪、加工用マンゴーはまったく流通しないかもしれない。
でも、めげませんよ。
来年は間違いなく大豊作ですから。今年はそのための準備期間。
宮古島マンゴーネピュレプロジェクト、
大切に、慎重に、夢を抱いて、みんなで育てていきたいと思います。